解剖学アトラス プロメテウスとネッターとグラントを比べてみた

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徒手療法を行うセラピストや治療家にとって、解剖学アトラスは必携の書籍です。

手で治療する人間にとって、身体のどこに何の組織があるのか、正確に把握することが何よりも治療効果に影響します。そのために手元で大きな助けになってくれるのが解剖学アトラスで、解剖に関する写真や図譜を集めたものになります。

今でこそ何冊も解剖学書を持っていますが、最初に買おうとした時は何を選べば良いのか全く判断材料がなく、ずいぶん迷ったことを覚えています。キャリアを積んで長い間使っていると、それぞれの解剖学書の良さや特徴が分かるようになってきます。解剖学アトラスは分からないものを視覚で探すので、理屈もありますが、直感的に良いか悪いかというのもあると思います。

解剖学アトラスで代表的なものと言えば、まずプロメテウス解剖学アトラスが思い浮かびます。ネッター解剖学アトラスも根強いファンがいます。セラピストの間ではあまり話題に上りませんが、グラント解剖学図譜集という書籍もあります。
相撲ファン同士が「どの横綱が一番強かったか」と話をしたり、野球ファンが「歴代ベストナイン」を話したり、そういうノリで「どの解剖学アトラスが一番良いか」というテーマが今回の記事です。

結論は出るはずがないのですが、それぞれの特徴を楽しんでいただけたらと思います。

プロメテウス解剖学アトラス

解剖学アトラスと言って、最初に思い浮かぶのはやはりプロメテウスではないでしょうか。第3版(解剖学総論・運動器系)の帯には「この美しさが最上の理解を生む」と書かれていますが、私もはじめて見た時、その図面の美しさに「こんなにきれいな解剖学書があるのか」と感心したのを覚えています。私の他にも多くの人が同じ感想を持ったと思います。この美しい図面がプロメテウスの大きな特徴のひとつです。

もともとプロメテウス解剖学はドイツの書籍で、2004年に出版された原著初版は「2004年 ドイツの最も美しい本」に選ばれて、医療界だけでなく出版界にも大きく注目されました。

初版に寄せた著者たちの序文には「プロメテウスは、ギリシャ語で「先に考える者」を意味する。われわれの新しい解剖学アトラスは、その名前にふさわしいものとするために、新しい道を行かねばならない」と書かれていて、その志と意欲の高さがうかがえます。また、初版で訳者は「ドイツが培った肉眼解剖学の伝統と、21世紀のコンピューター技術を融合させた、解剖学の歴史の新しい1ページを開く解剖学書である」と紹介しています。

美しい図面が印象的なプロメテウス解剖学アトラス(引用:解剖学総論・運動器 第2版)

プロメテウスは一種の解剖学書のシリーズと言えます。部位や用途別に多くの種類が出版されています。()は2018年12月時点での最新版です。

・解剖学総論・運動器系(第3版)
・胸部/腹部・骨盤部(第2版)
・頭頚部/神経解剖(第2版)
・コアアトラス(第3版)
・口腔・頭頚部(第2版)
・コンパクト版

「解剖学総論・運動器系」「胸部/腹部・骨盤部」「頭頚部/神経解剖」の3冊がプロメテウスのメインであり、「コアアトラス」はメインの3冊から図面を選択するなどして、1冊で身体の全部位を網羅できるように再編集したバージョンです。「口腔・頭頚部」は歯学用にメインの3冊から関連する領域を編集したバージョンです。

「コンパクト版」はメインの3冊をそのまま縮刷したものではありません。Amazonの商品欄に”『Anatomy Flash Cards-Anatomy on the Go』の367枚のカードが、ポケット判(182mm×128mm×32mm)の単行本として登場”と書かれているように、暗記用のイラストカードを本として編集したような内容です。見開きの左側に解剖学図と部位ごとに番号が振ってあって、右側に番号ごとに名称が書かれています。テスト前に右側の答えを見ないで暗記を確認するような構成になっています。

このように見るとプロメテウス解剖学アトラスは、美しさと解剖学書としての質、量、そのいずれも高いレベルで目指した書籍と言えると思います。
写真は、上からグラント解剖学図譜(第7版)、ネッター解剖学アトラス(原著第6版)、プロメテウス解剖学アトラスのうち、解剖学総論・運動器系(第3版)、頭頚部/神経解剖(第2版)、胸部/腹部・骨盤部(第2版)を重ねたものです。

メインの3冊を揃えると、グラントやネッターの1冊に比べると、かなり厚いことがわかります。このページ数の多さを背景に贅沢に説明している印象がプロメテウスにはあります。

【上】肩の筋群について層ごとに図示【下】筋肉ごとに細かく走行、神経支配など解説。(引用:解剖学総論・運動器系 第2版)

写真のように筋肉の走行を模式図で細かく解説しているのはプロメテウスだけです。それは豊富なページ数が背景にあると思われます。私の学生時代も「理学療法士、作業療法士のための」と銘打たれた解剖学書があって、このような筋肉ごとに走行を示した図が載っていました。セラピストによく受け入れられているのは、このような部分もあるのかもしれません。

実際にひとつひとつの組織の走行を確認しようと思うと、プロメテウスが一番調べやすいです。それは組織に対するストレッチやモビライゼーション時に重宝すると思います。

プロメテウスの図面は、良い意味で言うと美しいのですが、反面、少し無機質的に思います。グラントやネッターは人間が実際に解剖しているような、めくった質感や感触、角度を念頭に図を示しているように思うのですが、プロメテウスはコンピューターによってクリックして不必要なものを消したような、そんな印象を受けます。写真でも絵でも、生きた生物の質感とは大きな違いがあると思いますが、その点でプロメテウスはグラントやネッターと比べても少し離れている感があります。

また、全てではないですが、筋肉、血管、神経など組織ごとに図を分けていることが多いように思います。それにより、それぞれの組織単体の位置はとても分かりやすいのですが、生きた人間の様々な組織が混在した奥行きが失われているように思います。例えば、触診の時には筋肉を見つけて、そこから神経や血管の位置の目星をつけたり、その逆もあったりするわけです。組織ごとに整理し過ぎた図では、そのような組織と組織をまたいだ位置関係を知りたい時に少し弱い部分があります。

プロメテウスの一面を言うと「美しい」「合理的」「知識量も豊富」であり、もう一方の面では「きれいすぎる」「整頓されすぎている」と言えると思います。メインの3冊全てを購入しようと思うと出費も大きくなります。プロメテウスは良質な解剖学アトラスだと思いますが、そのような点で好みが分かれる部分もあると思います。

ネッター解剖学アトラス

ネッター解剖学アトラスは、プロメテウスと並んで、セラピストにとって馴染みが深い解剖学アトラスだと思います。

書籍の生みの親であるFrank H Netter(1906-1991)はニューヨーク生まれで、美術を学んだ後にニューヨーク大学医学部に入った異色の人物で、1931年に医学博士の学位を取得しました。在学中からノートに書くスケッチが教員や医師の目に止まり、論文や教科書のために挿絵を描く仕事を依頼されたほどであったそうです。

1933年から外科医になりますが、最終的に医学の道をあきらめて、画家としての道を選びます。

製薬会社(ノバルティス社)の販促物のイラストを多く手がけ、これら解剖図は後に再編集され、この『ネッター解剖学アトラス』となりました。

ネッター解剖学アトラスの特徴はなんと言っても、ネッター氏のその独特の絵画タッチでしょう。絵だけ見せられても、多くの人がネッターのものとわかると思います。

鮮やかな色彩が印象に残るネッターの図面(引用:ネッター解剖学アトラス 原著第6版)

図は色調を強調していてカラフルな印象を受けます。理解のために色を鮮やかにしていて、後述のグラントの落ち着いた雰囲気とは対照的です。

他の2冊と比べて、あまり組織を整理していない印象で、例えば同じ絵に筋肉、血管、神経などが混在して描かれています。これはもともと系統だった解剖学アトラスを作る目的があったわけでなく、主に薬剤の販促用など用途別に描いた解剖学図をまとめたという経緯も影響しているかもしれません。これが長所となり、組織の位置関係がわかりやすく、触診の参考になります。

同じ角度から、組織を取り除いた図を並べていて、浅層、深層の位置関係も理解しやすくなっています。

様々な組織をひとつの図に取り込むことで、読者の立体的なイメージにつながる。筋肉も多くの図で様々な角度から横断的に描かれている。(引用:ネッター解剖学アトラス 原著第6版)

グラント解剖学図譜に比べて、図面自体は同じくらいだと思うのですが、様々な図に同じ組織がまたがって載っているため、筋骨格系においても充実している印象を受けます。

セラピストの先輩の中にも「プロメテウスはきれいだけど、実際にイメージしやすいのはネッター」と、ネッター押しの人も少なくありません。

注意しなくてはいけないのは、もともと販促用に描かれた図もあり、そのようなものの中には説明のために組織を強調したり、縮尺を調整して描かれたものもあります。実際の組織の大きさや位置関係と違う場合もあります。分かりやすい反面、そのような図もあるということを頭に入れておくと良いと思います。

私自身、解剖で何かわからないことがあると、解剖学カラーアトラス(写真)で見て、次にネッター解剖学アトラスで確かめることが多いです。写真だとイメージはしやすいのですが、細かい位置関係がわからない時もあり、そのような時にネッターを見ます。

プロメテウスほどひとつひとつの組織を細かく解説しているわけではありませんが、立体的なイメージと臨床での使いやすさという点で優れている解剖学アトラスだと思います。

ネッターにはプロメテウスやグラントではまだ販売されていない電子書籍があります。少し価格が高くなりますが、セット版では原著第6版と別冊学習の手引きに加えて電子書籍をダウンロードするためのPINコードが付いています。

グラント解剖学図譜

プロメテウスやネッターに比べると、グラント解剖学図譜はセラピストの間で不思議と名前を聞く頻度が少ないように思います。

J.C.Boileau Grant(1886-1973)はスコットランドのエディンバラ出身で、1903年〜1908年までエディンバラ大学で医学を学びました。卒業後、地元の病院勤務や第一次世界大戦での軍医経験を経て、カナダのマニトバ大学で解剖学教授、トロント大学で解剖学主任教授、同大学の解剖学博物館館長、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の客員教授などを歴任、解剖学教育に一生を費やしました。

このグラント解剖学図譜はトロント大学在籍中の1943年に初版が出版されたものです。ネッター解剖学アトラスの初版が1989年、プロメテウス解剖学アトラスの初版が2004年ということを考えると、その歴史の長さが伝わると思います(ただし、ネッターの図譜については、解剖学アトラスという形ではありませんが、1948年に図譜集が出版されていました)。

その後、原著は2018年12月時点で14版を数えています。日本語版第7版は原著13版を訳したものです。

2015年3月16日に放送されたNHKのドキュメント番組「プロフェッショナル」で、小児外科の山高篤行医師が手術前に見ていた医学書もこのグラント解剖学図譜でした。黒と茶色がベースの落ち着いた色調の表紙は、「大人の解剖学書」という雰囲気を醸し出しています。中身も全体的に茶色系の配色が多く、表紙のカラーそのままの印象です。

【落ち着いた色彩が印象のグラント解剖学図譜。下のグレイ色の部分ではその身体部位に即した様々な知識が書かれていて勉強になる。(引用:グラント解剖学図譜 第7版)】

図はネッターに比べると、整理されている印象を受けます。つまり、局所的な図や、組織ごとに別々に描かれた図が比較的多いです。そのような点では、ネッターとプロメテウスの中間にあると言えます。

内臓系の描写に力を入れている印象で、特にリンパ系の図が充実しています。リンパ系だけなら、分冊しているプロメテウスの胸部/腹部・骨盤部にも負けないように思います。腹腔や内臓については、見れば見るほど、よく考えられた図の配置だと感心します。その分野に関与するセラピストなら重宝すると思います。

【内臓、特にリンパ系の記述が充実している。骨盤付近のリンパ系の走行について男女ごとに図示している。(引用:グラント解剖学図譜 第7版)】

反面、筋骨格系は他の2冊に比べるとやや少ない印象を受けます。セラピスト間でプロメテウスやネッターに比べると、あまり名前を聞かないのもそのあたりに原因があるのだと思います。

図の下にグレイで囲まれた短い解説文があるのですが、それが時には臨床上の知識であったり、時には解剖学上の形態の特徴であったり、読者が頭に入れやすいような知識をさりげなく与えていて、読んでいてとても勉強になります。

この書籍は歴史が長いだけあり、愛用者も思い入れもまた強いのではないかと、容易に推測できます。

監訳者の坂井健雄先生の序文では
「人体解剖の奥深さと、本物だけがまつ迫真の力がそこにある」
「世の中に満ちあふれている解剖図の多くは、美と理想を求めて再構成されており、見方を変えれば知識をもとに頭の中で組み立てられたものになっている。さらにそこから引き写されて、著しく変形したものも少なくない」
……と書かれていて、その強烈な矜持というか、プライドが伝わってくるようです。

最初、この序文はプロメテウス解剖学アトラスに対する批判かと思ったのですが、坂井先生はプロメテウスの監訳も行っているので、多分そうではないと思います。

どちらかと言うとグラント解剖学図譜は、運動学よりも病理学や生理学と結びつけやすい解剖学書ではないかと思います。そのような意味で(実際に眺めた実感として)、医師が見ているというのは深く頷けます。プロメテウスやネッターと比べると、経験の浅いセラピストにとっては使いづらいかもしれません。しかし、身体のことを深く勉強していくうちに、この書籍の良さがわかるようになるのではないでしょうか。

もし、セラピストで、プロメテウスやネッターが愛読書と言っても、そんなに驚かないですが、もしグラントと聞いたなら「君、硬派だね」と思わず答えてしまうような、セラピストにとってそのような解剖学書だと思います

まとめ

解剖学アトラスの代表格と言えるプロメテウス、ネッター、グラントについて、その比較してみました。「解剖学書なんてみんな一緒」と思っている人もいるかもしれませんが、それぞれ強い個性を持っています。

書籍によって、載っている図とそうでない図があるので、できれば解剖学アトラスは何冊か揃えていた方が良いと思います。私はブログを書く関係で、「確かこうだったはず」という記憶を解剖学書などで裏付けを取るのですが、そのような時、複数の書籍を持っていることで助かったことが何度もあります。細かい内容になればなるほど、そのような傾向が出てくると思います。

とは言っても、それなりの値段がするので全ての書籍を揃えるのは大変かもしれません。最終的にどの書籍を選ぶべきかは単純に好みの問題だと思います。迷ったら医学の専門書を多く置いている書店、あるいは医学系の大学図書館で、実際に見てみることをお勧めします。

私の個人的な印象は、初学者から門戸を広く受け入れているのがプロメテウスやネッターであり、玄人や渋い好みを満足させるのがグラントなのかなと勝手に感じています。

今回、普段からよく見ている解剖学書でしたが、記事のために時間をかけて眺めると、気付いていなかった多くの発見がありました。情熱を持って作られているのだと身に染みて感じて、この3冊があらためて好きになりました。また解剖学アトラスに限らず、他の書籍でもこのような試みをやってみたいと思います。