若手セラピストからの「今、何を勉強したらいいですか?」の質問にちょっと考えてみた

成長のための心得

セミナーで若いセラピストの先生とご一緒すると、時々「今、何を勉強したらいいですか?」と聞かれます。キャリア構築や勉強法の話は向上心のある人間にとっていつまでも大きな関心事のひとつでしょう。

自分よりずっと若い先生や学生さんと会うと、可能性を心の底からうらやましいと思います。僕自身、まだまだ成長を感じていますが、若いというのは何よりも可能性を感じます。

早い段階で一生の行き先が決まると、その分、将来に向けてスムーズな道のりを踏むことができます。スポーツ分野に行きたいのであれば、そのような病院や治療院に就職すれば良いですし、時間に余裕があるうちはボランティアでもスポーツに関わって経験を積むことが出来ます。

ボバースアプローチを学びたければ、そのような理解がある病院に行かないと、公認セラピストのための8週間もの講習はなかなか受けられないでしょう。

早い段階から経験を積むというのはそれだけで貴重です。役職がついたり、家庭を持ったりすると自分のために使える時間が減るので、若いうちに大きな目標が決まるのは、時間を有効に活用することができて大きなメリットになります。

もうひとつ、自分がよく話すのは「ひとつの治療技術、概念を徹底して学ぶのか」「様々なものを学んだ方が良いのか」という点です。商売的、経済的な観点から言えば、1つの分野のエキスパートになった方がやりやすいと思います。1つ大きく秀でたものがあると大きな武器になります。治療だけでなく講師業の可能性も膨らみます。

一方で、整形外科分野、中枢神経分野、呼吸器分野、スポーツ分野など大きな枠で専門性を作るのは良いですが、治療法にあまりに傾倒しすぎると、時間が経過するにつれてその治療が廃れていくこともあります。私が理学療法士になりたての頃注目されていた治療法も、そのうちいくつかは現在見る影もありません。

流行や他者からの評価は、本来、治療とは関係ありませんが、将来講師業を目指していたり、ブランディングも目的にしている人は注意した方が良いでしょう。

キャリアが短いのに、特定の治療法に集中し過ぎるのも注意が必要です。治療法の中には、身体を独特なシステムやパターンに分類して、それに基づいて治療するようなものもあります。それが一概に悪いとは言いませんが、気が変わって学ぶのをやめた時に、他の治療に応用しづらく、つぎ込んだ時間の割に得るものが少なかったということにもなりかねません。ある程度、セラピストとしての下地ができてからであれば、ひとつの道具を得たということで有意義に扱うこともできるでしょうが、そうでない早期の段階ではリスクがあります。

結局のところ、学ぶものを絞って狭く深く追求していくスタイルにしても、多くのものを広く浅く学ぶスタイルをとっても、メリットとデメリットの両方があります。どちらを選ぶかはその人がなりたいセラピストのイメージ次第でないかと思います。

私としては、自分が心から学びたいものが見つかったなら、それに一生懸命取り組むことをお勧めします。意欲は成長する上で大きなエネルギーになります。

それでは自分が学びたいものが見つからない場合は、どうすれば良いのでしょうか?

ひとつは、いろいろなセミナーに参加してみることです。知識や技術が向上することはもちろんですが、治療法について客観性とバランスの良い見方が身に付きます。また、講師やセミナーの質について、見る目を養うこともできます。何か学びたい治療法を見つけたとしても、そこにもいろいろな講師がいます。自分が本当に学ぶべき師は誰か、養ってきたその”目”が役に立ちます。

もうひとつは、解剖、生理、運動、病理など基礎的な学問と触診技術を、日々学び鍛え続けることです。そして毎日の臨床で疑問に思ったことを、それらと結びつけて自分なりの答えを出していくことです。

そこから生み出された経験は、いつか自分が学びたいものと出会った時に基礎として役立つでしょう。もしかしたら、愚直にそれを行い続けたセラピストは、特別な治療法など学ばなくてもすでに結果が出せるようになっているかもしれません。

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私自身は特定の治療法に傾倒することなく、どちらかと言うと広く浅くセミナーに参加してきました。偏るのが好きでなかったというのもありますが、それほど打ち込みたいと思えるものがなかったことも事実です。

現在はオステオパシーという概念を学んでいて、セミナーはほとんどその関連しか出ていません。始めたのはすでに三十代後半でしたが、ようやく一つに絞って勉強したいものができたという感覚です。

私などはいろいろと覗いた方なので、何かひとつ若いうちに出会っていたらと思うこともあります。しかし、いろいろと遠回りをしたことでまた違った経験を産んでいます。オステオパシーと二十代前半に出会っていたら多分続けていなかったと思います。いろいろ経験した末に出会ったから、その魅力がわかったのだと思います。そのような意味で治療法との出会いもまた縁なのです。

自分で考えて決断したことは悔いが残らないですし、一生懸命やったことは何かしらの財産になります。つまるところ、正解というものはなく、一生懸命考えてただ努力する。そこに何か縁が生まれるし、それがその人の進む道なのではないかと思います。